新潟地方裁判所 平成7年(ワ)51号 判決 1995年11月29日
原告
吉田フミ
被告
須磨邦雄
主文
一 被告は、原告に対し、六九五万〇四三二円及びこれに対する平成四年七月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
二 原告のその余の請求を棄却する。
三 訴訟費用は、これを四分し、その一を原告の、その余を被告の負担とする。
四 この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告に対し、八九三万四七一〇円及びこれに対する平成四年七月二七日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、交通事故により傷害を負つた被害者が、加害車両の所有者に対し、自賠法三条に基づき損害賠償を請求したのに対し、被告が不可抗力による免責を主張して争つた事案である。
一 争いのない事実
1(交通事故の発生)
(一) 日時 平成四年七月二七日午後五時三八分ころ
(二) 場所 新潟市女池六丁目一八番一八号先路上
(三) 加害車両 普通乗用自動車(新潟五六と二一五五)
運転者 被告
(四) 被害者 原告
(五) 事故態様 被告か加害車両を運転して右事故現場に差しかかつた際、突然クモ膜下出血で倒れて意識をなくし、歩行中の被害者に後方より加害車両を衝突させて、同人に傷害を負わせた。
2(責任原因)
被告は、本件事故当時、加害車両を所有し、これを自己のために運行の用に供していた。
二 争点
被告は、本件交通事故の原因は、被告が加害車両を運転中に突然クモ膜下出血で倒れて意識を失つたためであり、被告に過失はなく、本件事故は不可抗力であつたとして、自賠法三条の責任を負わないと主張し、また、原告主張の損害額を争う。
これに対し、原告は、被告自身の健康上の原因により本件事故を発生させたのであるから、被告としては、被告の健康管理に過失がなかつたこと、すなわち被告が常日頃から健康を十分に管理していたこと及び運転した時点で健康であつたことを立証しない限り免責事由に該当しないと主張する。
そこで、本件の主な争点は、運転手が運転中に突然クモ膜下出血で心神喪失状態に陥つて事故が発生した場合に、運行供用者である被告が自賠法三条の責任を免れるかどうかである。
第三争点に対する判断
一 自賠法三条と免責事由
自賠法三条ただし書は、自動車の運行供用者が免責されるための要件として、<1>自己及び運転者が自動車の運行に関し注意を怠らなかつたこと、<2>被害者又は第三者に故意又は過失があつたこと、<3>自動車に構造上の欠陥又は機能の障害かなかつたこと(いわゆる免責三要件)が必要である旨規定しているところ、本件においては、<2>の要件を欠くことが明らかであり、自賠法三条ただし書の適用によつて免責が認められる余地はない。
しかしながら、他方、自賠法三条が過失の立証責任を転換し、かつ、立証すべき無過失の内容を加重して交通事故の被害者の保護を厚くしているといつても、法律上の無過失責任を負わせたものではない以上、例えば、突然の地震、落雪、崖崩れ、野獣の飛び出しなど、いわゆる不可抗力によつて事故が発生した場合には、被害者又は第三者に故意、過失が認められない場合であつても、免責が認められる余地があるといわなければならない。
二 運転者の突然の心神喪失と免責の可否
ところで、本件のように、車両の運行中、運転者が突然クモ膜下出血で心神喪失状態に陥つた場合に、不可抗力として免責を認めるかどうかについては、慎重な検討を要する。
そもそも、不可抗力とは、外部から来る事実で、普通に要求される程度の注意や予防方法を講じても損害を防止できないことを意味するところ、運転者の心神喪失というのは、いわば加害者の内部の事実であつて、地震、落雷など一般に不可抗力として論じられている、外部から来る事実と同列に考えられるかは疑問である。
また、車両の運行は、車両自体とそれを運転する者によつて実際に行われるのであるが、車両自体に存する構造上の欠陥又は機能の障害が原因で事故が発生した場合に原則として免責されないのであれば、車両の運転者の身体ないし健康上の障害が原因で事故が惹起された場合にも、同様に考えるべきであろう。
してみると、運行供用者の免責事由としての不可抗力は、車両圏外の要因のうち、被害者、第三者の故意・過失を除いた、最終的な法的責任帰属の主体が見出せない事由に限定すべきであつて、運転者の心神喪失は、原則として免責事由には当たらないというべきである。
もつとも、自賠法三条が無過失責任でないことは前記の通りであるから、運行供用者側で、運転者について常日頃から十分な健康管理を行つており、同人が運転中に心神喪失状態に陥るようなことが、現代の医学上の知識と経験に照らしておよそ予見不可能であることを立証した場合には、例外的に免責されるものと解される。
三 被告についての免責の可否
これを本件についてみるに、甲二四、被告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告(当時五三歳)は、事故当日、加害車両を運転して事故現場近くのパチンコ店に行つた後、自宅に戻るため、加害車両を運転して路上に出た直後、突然クモ膜下出血を起こして意識を失い、歩行中の原告に加害車両を衝突させる本件事故を惹起したこと、被告は、一〇年以上前から、血圧が高めで、本件事故当時も一日に三回、血圧の薬を服用していたが、過去にクモ膜下出血や脳出血になつたことはなく、その他、糖尿病や心臓病などの既往症もなかつた事実が認められる。
以上によれば、被告は、五三歳の男性で、過去一〇年以上にわたつて高血圧であつたというのであるから、当時、血圧の薬を服用しており、かつ、過去にクモ膜下出血ないし脳出血になつたことがないとしても、運転中にクモ膜下出血を起こして心神喪失状態に陥ることが現代の医学上の知識と経験に照らして予見不可能であつたとは、認めがたい。
よつて、本件において、被告は、自賠法三条の責任を免れないというべきである。
なお、被告は、クモ膜下出血や脳出血、脳梗塞などは突然に起こるものであり、単に血圧が高めでこれらの急性疾患が起こる可能性かあるからといつて、具体的にどこも何ともなければ、自動車の運転を禁ずることはできないし、安全運転を妨げる具体的危険性がないところに、運転を禁止すべき注意義務もないと強く主張するので、付言するに、確かに、右主張は、車両を運転するに際して運転者が負うべき具体的注意義務という観点からすればもつともであるが、自賠法三条は、運行すること自体に危険を伴う車両の運行供用者に対し、前記のとおりの重い立証責任を負わせ、事故が発生した場合の被害者保護を図つた危険責任の規定と解すべきであるから、運行供用者にかような予見可能性の不存在の立証を求めることは、むしろ自賠法三条の趣旨に合致するというべきである。すなわち、被告は、加害車両の運転者として具体的過失がないからといつて、直ちに運行供用者としての責任を免れることにはならない。
四 損害額〔カツコ内は原告の請求額〕
1 治療費〔同額〕 七五万三七一〇円
本件事故により、原告は、左鎮骨骨折、右大腿骨骨折、頭部打撲などの傷害を負い、平成四年七月二七日から同年九月一一日まで新潟市民病院にて、同年九月一一日から平成六年三月三〇日まで新潟市弁天橋通児嶋整形外科医院において、それぞれ治療を受け、その治療費(患者負担)の合計額は七五万三七一〇円である(甲二、三、五、七、九、一一、一三、一五、一七)。
2 入院雑費〔同額〕 三四万四四〇〇円
原告は、事故日から平成四年九月一一日まで(四七日間)新潟市民病院にて、同年九月一一日から平成五年四月二五日まで(二二七日間)と平成五年七月三〇日から同年八月一一日まで(一三日間)児鳩整形外科にて、入院加療しており、その入院雑費は、一日一二〇〇円で計算して、合計三四万四四〇〇円である。
3 入院看護費〔七一万七五〇〇円〕 六一万一五〇三円
原告は、新潟市民病院に入院中の期間及び児嶋整形外科医院に二度目に入院中の期間、付添人として家政婦を依頼し、家政婦代として合計六一万一五〇三円を負担した(甲二七、原告本人)。
4 通院交通費〔一六万〇三六〇円〕 一五万九〇七〇円
原告は、平成五年五月一日から平成六年三月三〇日の症状固定日まで六一日間、児嶋整形外科医院にタクシーで通院し、その支出したタクシー代の合計は一五万九〇七〇円である(甲一八、原告本人)。
5 装具代〔同額〕 四万四四二二円
原告は、本件事故により必要となつた歩行補助器具、サポーターなどの装具代として、合計四万四四二二円を支出した(甲一九の1~3、二七、原告本人)。
6 眼鏡代〔同額〕 一一万一二四〇円
甲二七により損害と認める。
7 老人車代〔同額〕 二万六五七四円
甲二〇により損害と認める。
8 ベツド代〔同額〕 四四万九七〇〇円
原告は、本件事故後、一人でも寝起きし易いように、介護支援ベツドを購入し、その代金として四四万九七〇〇円を支出した(甲二一、原告本人)。
9 逸失利益〔同額〕 一七三万二七八六円
原告は、平成六年三月三〇日の症状固定時七一歳の女性であり、本件事故により左鎮骨が偽関節となり左肩及び右下肢に疼痛が残り、後遺障害等級一二級に認定された。そこで、原告の逸失利益を、平成六年度年齢別平均給与額表の女子六八歳以上二〇万〇九〇〇円(平均月額)を基礎に、年収二四一万〇八〇〇円、就労可能期間六年間(新ホフマン係数五・一三四)、労働能力喪失率一四パーセントで計算すると、一七三万二七八六円となる。
10 傷害慰謝料〔二九七万七〇〇〇円〕 二〇〇万円
本件事故の態様、受傷の程度、治療期間及び治療経過などを考慮すれば、原告の傷害慰謝料としては、二〇〇万円を相当と認める。
11 後遺症慰謝料〔二七〇万円〕 二〇〇万円
原告の前記後遺症の内容、程度に照らすと、後遺症慰謝料としては、二〇〇万円を相当と認める。なお、原告は、その本人尋問において膝や腰の痛みをも訴えているが、右は、甲二五の後遺障害診断書の記載に照らして、必ずしも本件事故による症状とは認めがたい。
12 住宅改造費〔同額〕 一五八万円
原告は、本件事故前は自宅二階で就寝していたところ、本件事故により自宅一階にベツドを置くため自宅を改築する必要が生じ、住宅改造費として一五八万円を支出した(甲二二、原告本人)。
13 1~12の合計 九八一万三四〇五円
14 損害の填補
(一) 自賠責保険から(甲二六) 一八六万円
(二) 任意保険から(甲二七) 一六〇万二九七三円
(三) 合計 三四六万二九七三円
15 損害額 六三五万〇四三二円
16 弁護士費用〔八〇万円〕 六〇万円
右損害額に照らすと、本件事故に関する弁護士費用としては、六〇万円を相当と認める。
(裁判官 今村和彦)